横浜F・マリノス ファン

横浜F・マリノスを応援するイチファンによるブログです。

ブーイングでチームは強くならない

対戦している相手選手や審判に対する物ではなく、自分の応援、サポートするチームに対するブーイングについて論じる。

 

一般的に、ブーイングとは観客による不満の意思表示である。

 

お金を払った権利において、演目の内容や演者に対する批評として、「つまらない、気に入らない、納得がいかない」を、その場で示す必要があった時代に生まれた物だ。

 

故にブーイングという行為は、有料の観客であれば誰もがやっていい行為であり、そもそもとして行為そのものを罵倒や文言は別として、悪い行為とは考えない。

 

 

一方で、私の様なファン、お客さんではなく、サポーターを名乗る立場でありながら、試合後には批評側になる行為は矛盾を感じる。

 

それは、12番目の選手を自称し、つまり共に闘うチームの一員であると、勝つ可能性がある時は向こう側に属していながら、負けた途端に、お客さんに戻り批評者になる、というのは筋が通らないと考える。

 

共に勝ちたければ、負けた責任も共有しなければならないし、その覚悟はないのだろうか。

 

ブーイングをする前に、自身の立ち位置は何処にあるのか、自覚が必要だ。

 

 

次に、この論に対する反論として出てくるのが「チームが強くなる為には時に厳しいネガティブなリアクションも必要」という物だ。

 

その根底にあるのは、拍手等の労いだけでは選手たちが甘える、という考えがあると思われるのだが、よく考えてみて欲しい。

 

それを是正する為に、サポーターからのブーイングが必要なチームって、強くなる訳がないじゃないか。

 

先ず、専門的にテクニカルな修正が出来るとして、ブーイングという不満を伝える行為でそれが出来る訳ではないし、サポーターにブーイングされないと、やってしかるべき当然の対応が出来ないチームが強くなる訳ない。

 

つまり、強くなる為にはブーイングが必要だという条件設定が、正当なスキームが崩壊している、更には選手が負けても叱責されないと甘えるという、メンタル的な部分まで崩壊している訳で、

 

その条件設定の段階になった時点で、スタンドから何をしようが、もう一旦落ちる所まで落ちて、ゼロからのリスタート、再構築が、つまり経営的判断が必要な段階と言え、どの道、効力を発揮しないのである。

 

 

 

勿論、サポーターであっても、同時にお金を払ったお客であるのだから、ブーイングしたければすればいいだろう。

 

その際に、『こんなチームのサポーターなんてやってられるか、俺はお客として、金を払った権利において不満を伝えなければ気が済まない』とは言えないので、大義名分として「チームが強くなる為に」が必要とされると考える。

 

ただ、既に上で述べたように、ブーイングはチームを強くしない、風が吹いても桶屋は儲からない、論理がつながらないのである。

 

チームの一員であるのであれば、時に我慢を強いられる。

 

そこで我慢できずに、不満を意思表示したければ、ただ行えばいい。

いつでもドアは開いていて、お客と支援者の間を行き来するのは自由である。

 

「今日はもう我慢ならないので、お客として物言わせて貰いますわ」だけでいい。

 

『あいつサポーターとして共に闘うと言ってたのに、負けたら責任は背負わないのかよ』という批判を自身が甘んじて受ける覚悟が必要だというだけなのだ。

 

そこで自分だけは綺麗でありたいからと言って、チームが強くなる為にという大義名分を用いるのは、それこそ甘さであるし、甘いからこの様に私から批判を浴びるし、筋が通らないのである。