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横浜F・マリノスで敗北を知った日 (リライト 2013)

新潟のFW鈴木武蔵が放ったシュートがキーパーの榎本を破り、ボールがネットに収まった時、スタジアムは完全に冷え切った。

その光景を、見ていて少し惜しく思ってしまった。


これが最終節ならマリノスにとって凄い歴史になっただろう。



Jリーグ2013シーズン総評


2013年のJリーグは勝てば優勝という横浜Fマリノスが連敗し、広島が逆転で昨年に続き、史上4チーム目の連覇を達成し、幕を閉じた。

昨シーズン降格したG大阪に続き、一時期は黄金時代を築き上げた磐田が降格するなど、浦和、鹿島、名古屋と言った近年の上位陣にサイクルの終了や、変革の苦しみが見えた。


一方、川崎や新潟、C大阪など、監督によりチームの方向性が確かになったチームからは大久保、川又、柿谷と言ったエースストライカーの出現も重なり、チーム共々、躍進を遂げた。


また近年、残留番長の称号を誇り、あそこより下に言ったら降格と言われた大宮が、前半戦Jリーグ無敗記録を更新する快進撃を見せ、首位に躍り出たときは他全チームが得体の知れない降格の恐怖に襲われた。

だが結局、大宮は後半戦、17戦1勝に終り、いつも通りギリギリ残留のライン収まり、残留番長の異名を守った。




横浜Fマリノスの2013


リーグ戦2位、ナビスコ杯ベスト4、天皇杯優勝。

ACL出場権(リーグ3位)獲得を目標にしていたチーム、総じて見れば成績的にほぼ完璧なシーズンと言っても過言では無い。


特に素晴らしかったのは攻撃時に攻撃から守備への切り替えの早さ、つまり失ったボールを相手の陣内で高い位置からすかさずに奪い返しに行く、勇敢な姿勢を貫いた事だと思う。



攻撃サッカーの信奉者、ルイス・ファンハールアヤックス黄金時代に言った言葉

「私の理想は90分間を相手のコートで過ごす事だ。」


もちろんこれは到底無理な理想ではあるが、昨今のトップレベルにおけるトレンドとして、FCバルセロナのパス回しを真似るのではなく、ボールを失った後の早さを取り入れる風潮がある。

そこをよりハードにフィジカル的に洗練させたのがバイエルンであり、昨シーズンはリーグ制覇だけでなく、バルセロナを倒し欧州王者にも輝いている。



現行のトレンドに乗っているだけでなく、チームとして機能・実行出来ていたのが、リーグMVPに輝いた中村俊輔のプレー以上に、とても見ていて痛快だった。

サッカーはあくまでもチームスポーツであり、チームとしての連動が見せる機能美に優る、名プレーは無いと考える。




マリノスに生じた綻びと限界の露出


9月以降、マリノスのゴールシーンは凄かった。

どのゴールも毎週、今週のベストゴールにノミネートされ、更には実際に月間ベストゴールも次々と誕生した。


ただそれは、とんでもない個人技が炸裂した時しか、得点が決まらなくなっていたのと同義だった。

イージーゴールが無かった。


これが何故かと考えると、首位になってからは勝たないと順位を守れない中で、慎重なゲーム運びが増え、成功率が低い速攻の数が減ったと言う節もあるがハッキリとしない。

 

確実なのは、速攻が減っただけでなく、更に研究された点も含め、以下のような型にはまったゲームが多くなった。

 

1,ボールを持つ時間が長い攻撃が増えた(=戦略として持たされる)

2,ビルドアップ能力の低さを狙われる

3,サイドに逃げる事でしか前に進めない

4,結果、ワントップ以外は皆ペナ角に集まって攻撃を開始するが、中は圧倒的数的不利でクロスを送っても意味がない

 

5,その内カウンターを食らう(新潟戦、川崎戦)



この点、今シーズン16点を取った、マルキーニョスは確かに不調ではあったが、誰がFWを勤めていても厳しかったかもしれない。

ただ、千葉から獲得した藤田、レンタル移籍から復帰した端戸、どちらも監督からの信頼が低かったのは間違いがない。

実際、リーグ戦では一度たりとも、マルキーニョスの代わりに使われた事は無い。

メンバーの固定化は抜群の安定感をもたらしたが、歯車が欠けると打開策が無く、特に肝心な時に使えない選手、使わない様な信頼度が低い選手を、何故、シーズン後半まで置いておいたのか疑問でしかない。

それは結局の所、フロントが動かない、動けない部分も含めて、総じてチーム力が無かったと言う事なんだと思う。




入場62,632人、Jリーグ最高記録更新


11月30日Jリーグ第33節横浜-新潟戦、62,632人という観客数はJリーグ史上最高記録を更新した。


過去6万人規模のゲームを日産スタジアムで観戦した事が何度かあったが、思い起こせば全てがJリーグのゲームではない、W杯やクラブ杯のような全席指定席のゲームだった。

いつもの東口に向かうと、入り口を案内され、一旦南口迄行って折り返し、また東口に戻ってくる列に並ぶ事となった。


ただ、これを大変とも何とも思わなかった。
体験を楽しむってこういう事、日常じゃない物だからこそ価値があるんだ。


例えば、立地が最高の日産スタジアムでも駅からスタジアムまでの道を歩くと10分近くかかる。
行きも帰りも、酷いゲームの後も、この道を歩く時間がとても大切だ。

サッカーの試合を楽しむのはスタジアムだけでなく、スタジアムへと続く道から始まってる。

また一つ、「あの時は~」と語られる歴史が、チームに増えた事を嬉しく思う。




敗北を知る


最終節川崎戦、新潟戦同様に、マリノスは0-0の均衡の中で、勝たなければ行けない苦しさに耐えられなかった。

人目もはばからず号泣する選手達を見るのは辛かったが、正直な話、心の底からは、その絶望の縁まではどこか同調(シンクロ)できず、この結果に一定の満足みたいなものを感じてしまっていた。

 

『これはこれで悪くないぞ』と

 


そんな感覚は、何が何でも優勝を決めると意気込んだにも拘らず敗北した、新潟戦でも同様に感じた違和感だった。

マリノスを自分のチームと想い、ワンプレーに一喜一憂して1年を過ごしたが、私は、まだどこか他人事だったのだろうか。


いや、違う、そうじゃない。


また、Jリーグ最高入場者記録を塗り替え、敗北した新潟戦が最終戦だったら良かったのにと思っているが、別に苦しみを喜ぶ、ドMな訳でもない。


終わってみて思うのは、勿論優勝を願っていたが、結果として頂点の喜びも、屈辱の敗北も、明と暗、極と端、ピンとキリではあるが、どちらも味わった事が無い体験だったから、私としては、どちらでも良かったのではないだろうか。

これも1つの体験と、サッカーチームに寄り添った中で味わえる体験として、すんなりと受け入れることが出来てしまった。

かつてもっと劇的に優勝した歴史があるのだから、どうせならもっと劇的な悲劇でも良かった、と思ってしまうのは流石にイカれてるかもしれないが。



20年経った今でも語られるドーハの悲劇の様な、激痛と共に刻まれる敗北の歴史は、これまでのマリノスには無かった。

いつか、必要だったと思う日であり、この歴史を体験している事を自慢として語る日が来るんだと思う。