Jリーグ第7節・広島戦雑感 マリノス的な目標を達成する為の最適な配置
今季は選手へのアタリが少々キツイ様な気がする。
これは、いよいよマリノスがシティグループの一員である理解が広がり、更には理想とするプレーのモデルケースまでも、現マンチェスター・シティに設定するのだと認識している人が多いからだろう。
つまり、論理は間違っていないのだから、後は実践、実行出来ないのが悪い、となるのだから、選手はやり玉に上がりやすい。
残念ながら、解らなかった人もいるようだが、マリノスがどうなったら強くなるのかが、観戦側に見えてしまったが故のリアクションと言える。
ただ一方で、何でシルバやデ・ブライネの様に出来んのじゃ!と言っても、あれは100m走で9秒台の世界にいる、特殊な一握切りな住人であることを忘れてはいけない。
これは今、話題沸騰な日本代表も、W杯でベスト16がノルマのような現実と乖離した目標設定に言える事だ。
100m走であれば、10秒台しか出ない中で、どれだけマイベストを尽くせたのか、を査定項目にするべきだろう。
若干、話が逸れて申し訳ないが、日本代表の話をすると、仮にロシアでノルマがあるとしたら、前回の反省として最高のコンデションを作れたのか、その指標は運動量やスプリント、又は別の何なのか、
更に良い守備が出来た効果測定として結果としての失点数ではなく、被シュート数や被決定機を指針にするべきであるし、カウンター攻撃を主題とするのであれば、カウンター発生回数、更にはカウンター成功率を観るべきだろう。
日本がW杯において、2分1敗でグループリーグで敗退しましたと言っても、それは100mのベストで10秒00の選手が決勝レースにいけませんでした、というのとイコールであって、
サッカーのデータは陸上のタイムと比べると対戦相手が異なるので絶対的ではないが、例えば、被シュート数はグループリーグを戦った全チームの中で16位より上か下か、被決定機は16位を越えているか、シュート数は、カウンター成功率はどうか、というデータにおいて、真ん中を基準に良いのか悪いのかを判断するのが正しい効果測定だろう。
冷徹に見れば、日本のレベルだと、内容は良かったで満足するレベルであるし、その内容を個人の感想ではなく、目標指標を設定して判断しようぜ、というビジネスの世界では至極当たり前な話である。
勿論、内容は良くても結果が悪ければ、結果でしか語れないバカが大騒ぎするだろうが、エビデンス(科学的根拠)に基づいて正々堂々と反論をすれば良いだけの話である。
平和な45分と最低な最重要指標
さて、話はマリノスに戻る。
ここまで、お付き合いをしてくれるチームが多かった中で、広島はボールを持ちたければご自由にどうぞ、と構え、更にロングカウンターを主軸とするチームだった。
これにより、マリノスは自陣ポゼッションの失敗から攻撃を食らう回数が、これまでに比べれば大幅少なく、特に過密日程により広島が起用した選手の問題からロングカウンターの質が低い前半は、今季、最も平和な45分だった。
ところが、自陣が平和なら敵陣も、最も平和な時間が訪れていた。
これはマリノスにお付き合いをすると、どうしてもスペースが出来るので、シュート数で優位になるとしても、マリノスもある程度、攻撃が成功し、シュートの打ち合いになりやすく、オマケに慣れない事をさせられてるので、マリノスよりも先にヘバる現象が起きている。
だが、広島は甲府を彷彿とさせる自陣に陣地を形成してのロングカウンターを主軸としていた事から、マリノスにとって敵陣中央はスペースがなく、サイドに追いやられてしまう、サイド傾斜が起きた。
ウイングとサイドバック、インテリオルとピボーテ、4人がアタッキングエリアのサイド、いわゆるペナルティエリアの角でボール交換をしながら機を伺う攻撃が繰り返された。
だが、迎え撃つのは、ここまでの失点は当日のPKも含めて2、広島が保有する甲府よりもレベルが高い選手がやりきる事で生み出される、Jリーグでは鉄壁の質。
それに対して、マリノスの攻撃で、若干の可能性が生み出されたのは、そこから脱出して逆サイドに戻した時に、ブマルが応援を必要としないことで生まれる僅かな時間を利した、カットインを始めた時くらいであった。
マリノスにおいて、攻撃的とはシュートという行為を出来るだけ多く行おうという意志を意味する。
結果としてシュートは5本。
今季の最も解りやすい指標において、スコアは度外視しても、今季最低のゲームになってしまったし、それは柏レイソルが後半から広島の様に、ボールを奪う事を放棄してロングカウンターを主軸に据えたゲームでも予見されたものであった。
今後に予想される相手チームの傾向。 前から行くと交わされる確率が高い&上手く行っても殴り合いを覚悟なので、自陣を埋めるように撤退してロングカウンターをメインとしつつ、プレスに来たら無理に繋がずロングボールでDFラインの裏狙いでセーフティに攻める。 #fmarinos
— Speir_s (@Speir_s) 2018年3月2日
https://witter.com/Speir_s/status/969554460350402560
ボールプレー機会に対するシュート本数が全然足りない、これはマリノスの価値観では攻撃出来ていないと同義。 後半は柏が撤退して中を固めた事で、前半は空いていたスペースが無くなり、アタッキングエリア中央から追い出された結果としてのサイド傾斜が起きてしまった。 #fmarinos pic.twitter.com/bJbsUw0TM9
— Speir_s (@Speir_s) 2018年3月2日
2点目を、敵の攻撃を防いだ直後に起きる自陣ポゼッションの失敗から取られる展開まで同じだった。
シュートを増やす方策はないのだろうか
理想としてシティがあるかもしれないが、マリノスに適したチューニングというのは必要であると思うし、特に、今後に予見される、ボール奪取を放棄してのロングカウンター狙いに封殺される可能性にどう立ち向かっていくのか、は重要なテーマだろう。
確率論の話である。
現状の所属選手において、ゴールシーンから逆算して考えた場合にパターンとして浮上するのは、左サイドで下平が蹴ったクロスに対して、ウーゴと翔さんが中で合わせる、というのが、ここ数年のマリノスを振り返った文脈からは思い浮かぶ。
敵に撤退され、スペースが無い状況でも、あくまでもフリーな選手を作ってそこにパスを出す、という攻撃がシュートに至る確率と、ウーゴと翔さんがエリア内にいる状況で、下平がクロスを蹴る、どちらが確率が上なのか。
ここで重要なのは、ポジショナルプレーは縛るのではなく、全く逆の開放する理論なのだということ。
例えば出来るだけ失点したくない、という指針を持つチームもポジショナルプレーは導入できる。
概念を深く解釈すれば、誰もがバルセロナやシティの様にプレーする為の理論ではなく、あくまでも配置の優位性が勝敗における最重要課題だとするだけであって、
サッカーという競技で勝つ為に最も重要な事は、シュートを沢山打つことだ、とする考えと、出来るだけ失点を防ぐべきだ、という考え、それぞれに存在する正義、どちらでも使う事が出来る。
マリノスには、マリノスの目標に合致する、マリノス的な最適な配置
シティがモデルだ、で止まっていては、真のポジショナルプレーという概念からはむしろ遠ざかる。
マリノスというチームが、広島の様な撤退した陣地を形成する敵を相手に、出来るだけシュートを打ちたい、とする場合における、最適な駒の配置はなんなんだろうかを追求するのが重要。
また、左を山中下平とする場合に、左ウイングに山中を当てるのが当然的に言われるが、タッチラインに張り付くウイングには、多方面な活躍が可能な山中ではなく、純サイドプレーヤーである下平の方が良いと思う、ハマのベッカム化計画。
それに、これなら天野はピボーテとして、大好きなサイドでのボール保持活動に専念していいし、更にデルフの様に、サイドバックとして山中と、もしくはクロサーというタスクならば下平とウイングのポジションを争うテストもありえる。
またこれは、別にユンがダメだとか言う話ではなくて、過去の文脈からみると、広島の様な相手であるならば、確率論として、左利きで良いロングパスが蹴れる選手をサイドに配置して、ウーゴと翔さんが合わせる方が、今のマリノスならシュートは打てそうという話。
まだマリノスは、導入初期の段階に当たり、モンバエルツの時代から取り組んできたビルドアップ(敵のプレスを回避して敵陣ポゼッションへ移行&アタッキングエリアへの突入準備)にすら苦慮しているのは、多くの人が感じているだろう。
他にも、川崎に、いいようにやられてしまった敵陣地での守備は、何の為にリスクをとってラインを上げてるのか解らない大きな課題であるし、ボールロスト後の再奪取も、ハーフライン付近でセンターバックが奪い取る事はあるが、ショートカウンターは出来ていない。
現状、Jリーグで上位と言えるのは、モンバエルツの遺産と呼べる、撤退時の強固なブロック守備だけだろう。
だが、どうやったらマリノスが強くなっていくのかは、よく解った。
改めて、チャレンジしていくチームを支持したい。
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横浜F・マリノスの目標達成指数 ポゼッションエクスチェンジ(造語)
多くの人にとって 『マリノスが狙い通りの良いプレーを出来ているのか』 解る指数を思いついた。
これは、なぜ、なにを、何のために、と明確な指針がスポーツ面における最高責任者が提示してくれたので、適用できると考えている。
この点において、ドル氏のプレゼンでは、マリノスにとって攻撃的とはなにか、について、シュート本数だ、と明確に定義されている。
シュート本数を増やす為に、アタッキングエリアへの侵入回数を増やすんだ、出来るだけ素早く前に進むんだ、そして素早く進む為に仕掛ける回数を増やさないといけない、と非常に解りやすい説明でした。
だが、命名というのは難しい。
マリ指数(マリノス的目標達成指数)、ポスティング(ポステコグルー&レイティング)、ドルPX(ポゼッションエクスチェンジ=ボール保持変換)、
色々考えると意味合い的には マリPX(マリノス・ポゼッション・エクスチェンジ) 辺りが適当だと思うが、いかがだろうか。
マリノスは何の為にボールを保持するのか
今の日本サッカー界では、自身で勉強や調査をせずに、あくまでも自身の今ある知識で消化と認識をする為に、とにかくレッテルを貼り付けて矮小化を行う、という傾向が、メディアレベルですら目立つ。
これは、マリノスはハイラインでハイプレスという戦術なんだ、みたいな、お前の頭は未だに加茂ジャパンだろ、みたいな行為を指す。
更に、これら手法は試合分析にまで波及し、特に今季は『ボールを持つだけのポゼッションは意味がない』という、倉庫から引っ張り出してきた古臭いカビが生えた批判が予想される。
マリノスはボールを持つこと、ボールポゼッションを第1目標とはしていないし、なぜボールの支配率を高めるようなプレーをするのか、も明確化している。
この部分について、小学生にも解る様に言うと、マリノスは、沢山シュートを打ちたいから、沢山攻撃する必要があって、沢山攻撃する為には、沢山ボールを持っていないと出来ないよねー。
よって、最終結果として、得点できないから負けたとして、一つ覚えにボールポゼッションは意味がない、というのは的外れであるし、マリノスがゲームにおいて目標を達成したのかどうかは、それぞれの項目について、段階的に見ていかなければ、正しい批評は出来ないと言える。
マリPX
先ずボール支配率、ボールをどの位、持つことが出来たのか。
これはボール支配率という、今では一般的になった事で、サッカー中継では必ず出てくるデータにより推測ができる。
また、時計が止まることがないサッカーの実プレー時間※(アクチュアルタイム)は60分以下と言われており、実際にボールを保持している時間は、こちらをベースに考える。
(※審判が判断して時計を止めた分は、アディショナル(ロス)タイムとして全て消化される。)
つまり、ボール支配率60%における、実際のボール保持時間は、60分の60%なので36分(以下)となる。
次に、重要なのが、このボール保持時間をしっかりと攻撃に変換する事が出来たのか、という視点であり、マリノスにとって攻撃とはシュート本数を意味するので、シュート本数を攻撃時間で割る。
1(分)攻撃時間を、何本のシュートに変換できたのか、という思想に基づく指数、
これが マリPX(マリノス・ポゼッション・エクスチェンジ) となる。
※実際にはアクチュアルタイムは55分程度であるし、毎試合変動するものであり、更にゲームにはどちらのボールでもない中間という物も存在する為、指数の数値に /分 の様な単位を付けるのは望ましくない。
マリPXの参考値
データは年間の平均値(by フットボールラボ)
ケース① 2017年リーグチャンピオンである川崎フロンターレ
平均ボール支配率 56.2%
平均シュート数 14.7本
マリPX 0.436(四捨五入)
ケース② 2017年2位 鹿島アントラーズ
平均ボール支配率 53.6%
平均シュート数 15.2本
マリPX 0.473(四捨五入)
ケース③ 2017年 7位 浦和レッドダイヤモンズ
平均ボール支配率 59.6%
平均シュート数 15.2本
マリPX 0.425(四捨五入)
数値的には、2017年に上位陣で最も高いチームはセレッソの5だったが、彼らの年間平均ボール支配率は50%を下回っており、これは宗教の問題で、沢山攻撃をするのに、沢山ボールを保つ必要が無い、と考えるチームも存在する。
この点では鹿島も、ボール支配率が55%を切っており、攻撃を沢山するには、ボールを持つ時間も沢山合った方が良い、という概念がチームにあるか、どうかは重要になる。
マリノスは、その概念においてボールを保持したいと考えているので、ボール支配率55%が、最低目標になるだろう。
また、マリノスの場合、通常の基準では不十分と考えられる。
例えば、2017年のレッズは年間の平均、ボール支配率、シュート本数、ともにリーグ1位の数値を記録しているが、前年2016年よりも低迷している。
ケース④ 2016年 年間勝点1位 浦和レッドダイヤモンズ
ボール支配率 58.6%
シュート数 17.4本
マリPX 0.497(四捨五入)
マリノスのボール支配率が年間平均で60%を越える可能性を考慮した場合、それはJリーグ史上に存在する極めて特異的なチームと言え、
目標値となると平均シュート数は17本以上の、マリPX 0.472(四捨五入)と推測される。
これまでのマリノス
第1節 セレッソ大阪戦
ボール支配率 57%
シュート数 17本
マリPX 0.497(目標値+0.025)
第2節 柏レイソル戦
ボール支配率 64%
シュート数 14本
マリPX 0.365(目標値-0.057)
このように、柏戦が、いかにチームの第1目標にほど遠い、不出来なプレーだったのか、が明確化するし、
次に、マリPXが目標値を達しているのに勝てなかったゲームにおいて、はじめて、では第2目標以下の達成はどうだったのだ、という議論を始めるべきだろう。
例えば、セレッソ戦においては、被枠内シュート、被チャンス構築数、被ショートカウンター指数 が高いとして、そうなってしまった理由はなんだろうか、とか。
まとめ
マリノスにおいて、攻撃はシュートを意味する。
マリノスは攻撃回数を多くする為に、攻撃に必要なボールを長く保持したい、と考えている。
よって、この思想を反映する、重要な事、見るべき数値として、先ずボールが持てたのか、次に、そのボールの保持時間を、シュート本数にどれだけ転換できたのか。
その転換率を表した指数と計算方法は以下
マリPX (マリノス・ポゼッション・エクスチェンジ)
シュート本数 ÷ (実プレー時間60分×ボール支配率) = ボール保持時間のシュート数変換率=1(分)攻撃時間辺りのシュート数
シーズン目標は マリPX 0.472
年間平均ボール支配率 60%
年間平均シュート数 17本
補足:マリPXが目標を達成しているのに勝てないゲームでは、第2目標以下に問題がある。
横浜F・マリノスが目指す物 (メディア向け説明書)
堅守、ハイライン&ハイプレス、偽サイドバック、シティ式、ポジショナルプレー。
安易なレッテルで納得する前に、横浜F・マリノス(以下マリノス)新体制発表会で何が語られたのかを、この事実をベースとして、考えよう。
スポーツディレクターによる指針方針演説
昨季からの大きな変化として、統括本部長の利重氏ではなく、スポーツディレクターのドル氏がメインで語った事が先ずあげられる。
これは、サッカーにおけるスポーツ(競技)面における知見というものにおいて、利重氏がそれを専門としないのは明白であり、この道でキャリアを重ねてきたドル氏が、役職に応じた役割を表舞台でも果たすようになった、と言える。
内容として、大変エモい演説であり、私を含め、多くのファン、サポーターは感ずる物があったと思うが、出来ればクラブとして、校正を入れた書き起こしを出してくれると望ましいとリクエストしておきたい。
本稿では、競技面の最高責任者であるスポーツディレクターが登壇し、従来よりも具体的となったことで、チームの指針方針演説と呼んでも過言はないプレゼンテーション(以下プレゼン)の内容を再確認したい。
マリノスにとって攻撃的とは何か
先ず、前提として、マリノスにとって、理想のサッカーにおける第1優先事項が変化した、というのが発表された場であった、と私は考える。
2018年の変化として、出来るだけ点を失わない、という概念が、消えたのではなく1番手では無くなり、代わりに1番手となったのが、攻撃的(オフェンシブ)という概念である、と言える。
また、プレゼンでは攻撃的とは一体何のことなのか、という定義説明が丁寧に行われているのも大変印象が良い。
なぜなら、よくあるパターンとして、堅守のチームとマリノスの事を言う人がいるが、2017年リーグ戦における総失点数は36であり、一方で優勝した川崎フロンターレは32失点である。
堅守のチームとは、結果論として失点が少なければいいのか、それとも、出来るだけ失点をしない、という概念が第1優先事項であるのか。
では、第1優先事項であれば、50失点していても堅守のチーム?
(札幌47失点 仙台53失点)
先ず、堅守のチームという言葉は、結果に対する評価なのか、それともスタイルに対する評価なのか、次に、第1優先事項としたチームにとって、36失点は堅守と言えた結果だったのか。
このように定義もされずに曖昧な意味の言葉を、レッテルとして使う事に疑問を感じないのであれば、ジャーナリストという職業は資質が無い、という意味で向いていないので辞めるべきだ。
この点において、ドル氏のプレゼンでは、マリノスにとって攻撃的とはなにか、について、シュート本数だ、と明確に定義されている。
シュート本数を増やす為に、アタッキングエリアへの侵入回数を増やすんだ、出来るだけ素早く前に進むんだ、そして素早く進む為に仕掛ける回数を増やさないといけない、と非常に解りやすい説明でした。
またバーチカルプレー、というワードが出てきましたが、これはピッチをボードなどに記載した際に生まれる、上下、垂直という縦軸であり「まっすぐ立ってプレー」はご愛嬌かと思われます。
人間の姿勢を指すのでしたら、アップライト、かと思いますので、ここではピッチを上下に見た、前進意識の高いプレーをしよう、という事だと思います。
シナジー(相乗効果)はどう生まれるか
攻撃的という定義、そしてそれを理想における第1優先事項とするとした上で、どの様に実現するのか、という実装が次のテーマとなります。
この点で、身体、技術、思考といった個人スキルとしてのスピードを、欧州(トップレベルリーグの)水準にしようという目標が提示されました。
まてまて新幹線はそんなに速くないぞ、ドイツのパスは時速80キロで中国は20キロってほど差はないだろう、と聴衆がツッコミたくてたまらないエモさ溢れるトークでした。
次に、そんな選手の個人スキルとしてのスピードだけでは、理想の実現は出来ないぞ、と提示されたのが、リーダーシップでした。
オリンピックに多い、個人競技なら個人スキルのみの衝突ですけどね。
ハッキリ言って、私を含めて聴衆の中で、この時点で意味を完全に理解していた人は居なかったと思われます。
リーダーシップという言葉の解釈が、全員がキャプテンの気持ちで~、責任感を持って~、みたいな曖昧な物では無い、という事です。
私は、昨今話題のポジショナルプレーという言葉が気になり、それをグアルディオラがサッカーに流用するとして、表層的ではない、概念の根源的な意味を考えていました。
この点、現在のメディアでみる論は、構成要素の説明に追われているに過ぎないのではないか、と感じます。
私は、深い思想的な部分を読み解く結果、チェス、将棋、ボードゲーム界を席巻しているAIソフトのゲームに対するアプローチが、極めて近似していることに気が付きました。
コンピューターは人間の模倣ではなく、将棋という競技や対戦相手は関係なく、ただひたすらに、盤面を点数化して、より良い点数の可能性だけを計算する事になりました。
監督は、盤面(駒配置)の点数化方法と、良い点数が出しやすい解法を教えるが、最終的に、より良い点数の探索は選手に任せる、ということになります。
この概念では、攻撃や守備という分類もなくなり、あくまでも、盤面が、より良い点数となる様な配置の模索と実行だけが行われるイメージとなります。
これこそが正に、ポジショナルプレーにおける『駒の配置から生まれる優位性がゲームの結果を決定するとされている』という概念に合致します。
選手が、駒として、割り振られた役割の消化、オーダーを消化する定石の保守、だけではなく、指し手として盤面形成を考える。
これがボードゲームから持ち込まれた、ポジショナルプレーという概念をサッカーに流用する、というテーマに対する根源的な回答であると私は考えます。
監督は盤面の採点方法と、良い点数の出し方を授けます。
そして選手は、それを元に、リーダーシップ(指し手の概念)により、盤面形成による配置の優位性を維持し続ける事で、個人スキルとしてのスピードが活きる、その結果、攻撃的(=シュートの本数)という理想の第1優先事項を叶える。
更に、逆説的に言うと、盤面形成のゴールとして、第1優先事項は攻撃的だよ、という事です。
例えば、GKがボールを持っているとして、第1優先事項が『出来るだけ失点しない』のであれば…
ハイボールに強いファーストトップ(質的優位)を用意して、俊敏性が高く独力で切り込めるセカンドトップを近くに配置して(配置的優位)、敵陣深くへ蹴り込んだロングボールの落下点に数人が殺到(数的優位)、する盤面形成を繰り返せば良いとなります。
ビルドアップミスを完全に排除して、ショートカウンター(自陣からの速攻)被弾率をゼロにしつつ、自陣において常に敵よりも味方が多くいる状態の構築、です。
つまり、ポジショナルプレーとは、必ずしもFCバルセロナのようなスタイルだけが該当する訳ではない、と言えます。
問われるリーダーシップ
日本的対策として、GKがボールを持ってる時に、2人のセンターバックと、喜田にミラー型の配置で選手をぶつけられたら、今のマリノスは混乱すると思います。
例えば、4-3-1-2ですか。
この時に、前半終了を待たずに、 正に選手がリーダーシップを持って、最適なオプション(選択肢)を選択して、準備してきた相手を即座に無効化する盤面形成が素早く出来るのか、どうかが今後の戦いにおけるテーマではないでしょうか。
「おい、サイドバックがめっちゃワイドに開いたぞ」
「サイドサイドでボール運ぶから中の4人空転してる」
「サイドバックが常にウイングとサイドバックにボコられる(´;ω;`)」
「喜田が落ちて3バックなったけど、代わりにウイングが中に入って中盤4人になってるやん」
「ぼく喜田にマークついていって良いんですか?」
「真ん中で一人足らないけど、どうするんですか、監督ぅー!」
みたいな感じで、前半終了を待たずに、選手が指し手となって、常に最高の盤面形成をする結果として、盤面的な優位性を保ち続ける事が出来るのか、ということであり、
今季のマリノスは苦労するとして、その中身は、定石の習熟に苦労するのではなく、盤面を崩壊させる様な、個人スキルに依存する致命的ミスと、選手はリーダーシップ(指し手という概念)を獲得できるのか、という事だと考えます。
マリノスがいい成績を収め、その中で大活躍する選手というのは、ある意味、盤面を支配する能力を手に入れたと同義であるので、それはプレミアだろうがブンデスだろうが、どこに出しても通用する選手になるでしょうね。
横浜F・マリノス プライオリティ(第1優先事項)の転換
2018年、今季の横浜F・マリノス(以下マリノス)は、既にJリーグ開幕戦において、チーム愛の垣根を越えるという意味で、サッカーマニアック層に対して最もインパクトを与えたチームであるのは間違いがないように、今後も、どっちに転ぼうが話題を集めることになるであろう。
その喧騒の中で、具体的なゲーム単体における事象の分析は、プロに任せるとして
セレッソ大阪対横浜F・マリノス ~横浜F・マリノスの設計を探ろう~ - サッカーの面白い戦術分析を心がけます
チームとの時間を共有するいちファンとしては、同じくファンやサポーターに向けて情報発信するに辺り、私は、その文脈を重視したい。
この立場から見た場合に、許容出来ない記事として、マリノスの文脈を無視する、以下の様な記事である。
順調なC大阪と戸惑う横浜――キャンプで見えた両チームの現在地は? | サッカーダイジェストWeb
選手の役割を単純化し、それがシンプルなサッカーとなって結果を出すことができた
今シーズンは、そのスタイルから180度転換した
前述のらいかーると氏がゲームを観た上でマリノスの分析に時間を割いてくれているのを感じる事が出来るのに対して、この文には、一切の時間が割かれていない事が直ぐに解る。
以下は2017年のマリノスに対する、正しいおさらいであり、反論となる。
自陣ポゼッションからの攻撃指数は、2016年の56から60と、微増に過ぎないが、ゴール率は、0.3%(リーグ13位)から、1.2%(リーグ3位)という結果を出している
カウンター頻度の激減 (2015年 2016年 2017年)
ショートカウンター 51 49 35
ロングカウンター 43 61 49フットボールラボ・カウンター指数
意図的にカウンター使用率を減らし、ボール保持攻撃に取り組んだ代償として、
自陣内でのボールロストが多発し、最悪の被攻撃指数を記録(下記)
守備開始位置の必然的後退に伴う「DFラインの高さ平均値」低下
38m(リーグ17位)
被チャンス構築率 12.2%(リーグ17位)
平均被シュート数 14.4本(リーグ16位)
私は上記のデータを論拠として、マリノスにおいて、もしスタイルの180度転換というものがあるとしたら、2016年→2017年に既に実施されていて、
2017年は目標を打ち立て、それにチームは団結して苦しみに立ち向かった、という文脈があることを、1人だけ何故苦しんでいるのか、その意味が解らなかった人を除いて、ここに確認します。
理想における優先順位とモンバエルツの功績
物事には優先順位が存在して、それは25年という歴史においても長い間、漠然とではあったが、マリノスにおける理想のサッカーという物の1位には常に(若干ハヤノしたが)、堅守(出来るだけ失点しない)が存在していた。
これは実際、2017年にチームのスポーツ面における最高責任者であった利重氏が、新体制発表会で強く明言していた事実もあり、2017年までは間違いがなく、マリノスというクラブにおける理想のサッカーとしてプライオリティ(第1優先事項)であった事がわかる。
次に、では、理想のサッカーにおける第1優先事項とは何かと言えば、先ず、前述したように、マリノスは2017年において、攻撃手法におけるカウンター使用頻度を減らし、 ボール保持攻撃の比率を増やそうとした意図はあった。
その目的は、年間を通して、もっと得点する為に、手段を多様化する事であり、シーズンを通して勝ち点を獲得する事を考えた場合に、ロングカウンターしかない、一辺倒の限界は誰が考えても明白と言え、理にかなった選択である。
一方で、相手からボールを奪う、という目的に対しては、常に正しい駒配置をする事が目的となるポジショナルプレーの概念において、最終的にハイプレスと撤退守備、どちらも完璧に出来る様にならないといけないのだが、この点でマリノスは2016年の秋に、撤退守備の整備から始めたと言える。
これこそが、理想における第1優先事項とは何か、という現れであり、また自己分析において、フットボール批評に載ったモンバエルツのインタビューを読むに、ポジショニングの基礎であり、更にはボール保持攻撃がろくに出来ない状態でリスクオフを優先した、適切な判断と言える。
この点、モンバエルツを評する際に、基礎をマリノスに教えた、というだけではなく、一歩間違えば、前年はマリノスより上位だった大宮が降格した様に、
チームの状態を見極めて習熟段階を上げていくという、極めて困難かつ危険な作業に対して、リスクヘッジが最適であったという部分も賞賛したい。
以上から、サッカーダイジェストの記事が、いかに、CFG以降のマリノスという文脈を理解していない物かは一目瞭然と言えるし、同時に困難な仕事を成し遂げたモンバエルツを過小評価していると言えるだろうか。
サッカー専門誌として長い歴史を持つサッカーダイジェストではあるが、WEBサイト化による記事の乱造に注力した結果、ゲームを観ること、事実を調べる事に労力を割こうとしない記者の記事を掲載し続けており、最早、存在価値を失っていると断じたい。
その一方で、元からマニアック層には人気の高かったフットボリスタは、ようやくのWEBサイト化に対応し、評価を上げてきている。
footballista | 海外サッカー月刊誌 footballista(毎月12日発行:900円)
彼らが、以前は眼中にも無かった日本、Jリーグにも目を向けてきたのは、ビジネス的理由もあるだろうが、良い傾向だと思う。
18年マリノスの変化は理想のプライオリティ(第1優先)
今年、2018年の新体制発表会は、元エースが意味不明な言動により離脱したこともあり、大変注目度が高かった為、ドル氏のスピーチを聞いた人も多いだろう。
先ず、前年との違いとして、統括本部長の利重氏はより広い範囲をカバーし、海外クラブと同じく、スポーツ面という局所における最高責任者がスポーツディレクターとなったのだと感じたが、今にして思えば、あれこそが、マリノスというチームにおける理想の転換を明言した発表の場であった。
攻撃する回数を増やす(アタッキングエリアへの侵入回数)
これを多くの人は、前年からの改善と受け取った筈だ。
だが、開幕戦で私は実感した。
マリノスにとって理想のサッカーにおける第1優先事項が、出来るだけ失点しない(=堅守)では無くなったのだと。
それが第1のチームであれば、ああいう手法(ゲームモデルの採用)を選択する事は絶対に出来ない。
勘違いがないように説明すると、引き続き「出来るだけ失点しない」という概念は存在しているが、理想のサッカーとして、全試合において相手を圧倒し3-0で勝つ、というビジョンがあったとして、その中で優先順位が低いという意味である。
1-0より3-1がいいよね、と言うのが解りやすい例えだが、表層的な物ではなく、とても根源的な部分から出てきているのを理解しないといけない。
まとめると、2018年にマリノスは変わった
何が変わったのかというと、戦術や攻撃手法、守備方法ではなく、それら手法を選択する、マリノスが考える理想のサッカーとしての第1優先事項が転換した、と考える。
チームとの歴史を重視する、ファン、サポーターにとって、より重要な事は、こうした文脈であると私は考えるので、ここにシェアする。
マリノスはクラブ消滅の危機だった
CFG以降の文脈はこちらの記事から
2018年の横浜F・マリノスはスペクタクルだ
絶対的な正解が存在しない世界においては、何を信じるか、という事が意味と価値を持ち、その結果として数々の宗教が存在し、その信奉者も多数存在している。
この点、私が応援する横浜F・マリノス(以下マリノス)は、これまで無宗教であったが、2018年からは新たな教義を信仰し、それに殉じる覚悟を決めたようだ。
我々が入信した宗教とは、現在の運営長たる法王は、マリノスが加入したシティフットボールグループにおける、フラッグシップチームであるマンチェスター・シティの監督グアルディオラなのは間違いがないのだが、その成り立ちから、エポックメイキングな信徒の名を表し、こう呼んでも異論は出ないであろう、クライフ教と。
私は、まさかJリーグで、それも横浜という街で、そして自らの意志とは関係なく、再び入信することになるとは思いもしなかった。
だから、若干話は逸れるが、この思い出を触れない訳にはいかないのである。
1996年のすれ違い
今や多くの人にとって、スカパーは”スカパー”という一つの単語かもしれない。
だが、かつてクライフ師の講演を生で観戦したいと願った私にとって、スカパーはスカイ&パーフェクTVであり、その出会いは1996年に起きた、苦いすれ違いの経験に他ならない。
当時において、オンタイムでクライフ師の講演を体験するには、ようやく始まった有料衛星放送に契約し、欧州チャンピオンズリーグを観るしか方法は存在しなかった。
この時に、それが可能であったのが、後にスカイTVに吸収合併される(事実かどうかは不明な私の印象)、パーフェクTVだった。
当時の私はまだ未成年であったが、それでも自分のお金でテレビを買い、アンテナを買い、工事費も払い、来るべき96シーズンに向けていち早く準備を済ませていた。
だがしかし、95シーズンが終了した直後、インターネットも民間レベルでは存在しない時代、私は彼の処刑を伝えるニュースをスポーツ新聞で目にする事となった。
クライフ解任
まぁ、クビにならなくても当時はリーグ3位じゃCLには出られなかったんだけどね。
グアルディオラの提案は何が凄いのか
マリノスに関係がない思い出話はこの辺にして、試合の細かいディティールではなく、我々が信じることになった教義について、確認をしよう。
現法王であるグアルディオラが持ち込んだ言葉について、その解釈作業を多くのメディアが試みているが、例えば下記の記事を読んでみた所で、
多くの人は一体、これまでの戦術とは何が違うんだ、何がそんなに画期的なのか、正直なところ、意味がわからないと思う。
-従来の戦術とは何が違うのか?
「ポジショナルプレーが従来の戦術と唯一違うのは、ほとんどのチームよりも、もっとフレキシブル(柔軟性)なプレーをするようになることだと思う。」
もっと柔軟性のあるプレーが出来るんだ、と言われて意味がわかりますか?
グアルディオラの提案について、如何に従来の概念に対して画期的なのかを、「おお!それは確かに画期的だね」と感じれる様に、日本人に、そしてマリノスを応援する人には馴染みの深い将棋をベースに説明してみたい。
・ 駒としてのタスク
君は香車だ、お前は桂馬だ。
香車の初期配置はここ、桂馬の初期配置はここ、動きのルールはこうだ、これが駒としてのタスクであり、配置される全戦力は、タスクを割り振られた駒として振る舞うというのが、戦術として基礎と言える物になると考える。
駒は、盤面全体や、更にはもっと小さな局面も気にする必要(知る必要)がなく、ただ、自分のタスクを忠実に消化していれば、指定されたマス目へ移動していればいい。
これが極めて適した組織のモデルケースとしては、万単位の人間が動く軍隊が最適だろう。
・ 定石(連携&セオリー)の理解
駒同士、駒間の連携、つまりは複数駒における連帯責任としての局地的セオリー、ルールに基づく運用というのが、更に発展した戦術であり、将棋においては定石と呼ばれるものだ。
2~4、の駒が、予め定められた局面における配置を連携して構築する事を目的とする。
駒間の相互理解による熟成が発生しやすく、サッカーにおいてよく聞かれる「まだ連携が低い」というのは、これが上手く行っていない、となる。
監督は指し手であり、準備として駒に役割を割り振り、コマを並べ(配置し)、予め定めた定石(セオリー的ルール)に沿って運用出来る様に整備する。
これが従来の手法で、各駒には一定の制限、又は、無法者と無法地帯を生み出す。
・ グアルディオラの提案
監督ってさー、実は試合中は出来る事すくねーじゃん?
だから、盤面の理解方法は教えてやるから、全員が指し手になった方が合理的じゃね。
もうお前ら駒をやめろ、更にただの棋士じゃダメだ、全員が常に最適解を探す、コンピューター将棋のようなAIになれ。
私は、これこそがグアルディオラの提案に潜む画期的要素であり、ボードゲームとして見た場合における、レイヤー(階層)の飛躍的突破という、とてつもないパラダイムシフト(革命的転換)であり、その根源は、盤面の理解(評価)方法と最適化手法の習熟だと考えます。
盤面の新理解方法 人類を越えたコンピューター棋士の画期的手法
もはや、大きくスペックを下げたマシンに搭載されたソフトにすら、その道を極めた人類最高峰のスキルでも勝てなくなっています。
そのブレイクスルーになったのが、人間的アプローチの放棄です。
極めて簡単に端折って説明するので、若干、その道のプロからする間違っている箇所もあるかと思いますが、
これまでは、過去の棋譜と呼ばれる対戦経緯や、定石の学習を行い、つまり人間の模倣をいかに上手にできるか、と性能(棋力)を上げてきました。
この手法では、マシンの性能が上がれば、やがて勝てるのではないか、程度の見込みがあったのですが、極めて進歩が、棋力の向上が遅かったのです。
ところが画期的な手法が発見され、それが劇的に性能を向上させました。
盤面、つまり、駒の配置を点数化した上で、秒間数十万手計算という、マシンの性能を活かし、全可能性を探索する、という手法です。
コンピューターは人間の模倣ではなく、将棋という競技や対戦相手は関係なく、ただひたすらに、盤面を点数化して、より良い点数の可能性だけを計算する事になりました。
人間には想像もできなかった新しい手(配置)が生まれるだけでなく、更には、なんでこの配置になると良い(点数が上がる)とコンピューターが判断するのか判らない、というケースも生み出しています。
人間には不可能なアプローチが、人間を圧倒しているのです。
従来の戦術とは何が異なるのか
定石(セオリー)の習得でとどまるのではなく、盤面を点数化(採点)する手法を採用した上で、その手法(採点方法)を基礎として、本当にそれは正しいセオリー(より良い点数化が出来る配置)なのか、といった再検討から、もっといい点数があれば、そっちを選択しても構わない。
従来の戦術とは何が違うのか、という問いに、「選手はもっと柔軟性のあるプレーができる」と彼が答える意味がここにあります。
つまり、監督は、盤面(駒配置)の点数化方法と、良い点数が出しやすい解法を教えるが、最終的に、より良い点数の探索は選手に任せる、ということになります。
コンピューター棋士と、そのソフトを開発する人、という関係に近いと言えます。
・ 従来のチーム
駒(選手) 指し手(監督)
・ グアルディオラのチーム
駒&指し手(選手) 【何と呼んでいいか判らない役割※】(監督)
※ 私は時代を先取って、コーチ(監督)ではない新ポジションとして、グアルディオラを(仮)プログラマー と呼んでおきます。
同時に、この概念では、攻撃や守備という分類もなくなり、あくまでも、盤面が、より良い点数となる様な配置の模索と実行だけが行われるイメージとなります。
これこそが正に、ポジショナルプレーにおける『駒の配置から生まれる優位性がゲームの結果を決定するとされている』という概念に合致します。
この為、ポジショナルプレーに存在する3つの優位とされる、数的優位、質的優位、位置的優位、というのも、あくまでも盤面を点数付けする際に考慮する、ボーナスポイント程度の物と考えられます。
そして、昨日のゲームを観て分かる通りですが、習得の段階であるマリノスでは、まだ、より良い点数を出しやすい解法の消化に追われている印象があり、それはつまり定石の範疇であると思います。
例えば、サイドバックの動きは現在、象徴的でわかりやすいのですが、盤面の判定として、より得点が伸びる配置をグアルディオラの採点方法で考えた時に、従来のセオリーよりも、あちらの方が点数が伸びやすいから、ああなっている(採用している)と捉えるのが正しいと思います。
但し、現状では、ドル氏が発表会で提示した、リーダーシップ(選手の指し手化)ではなく、定石(監督によるオーダー)により為されている訳です。
ですが、この段階で、既にこれだけの変化が起きています。
#fmarinos マリノス開幕戦の最終スタッツ&ポジション分布(by @DAZN_JPN ) pic.twitter.com/sf1L7FOCFl
— Speir_s (@Speir_s) 2018年2月25日
開幕戦で劇的な変化が見られたのがプレーエリア。 真ん中から追い出された結果としての、サイドからしか進めないビルドアップは解消されつつある。 #fmarinos pic.twitter.com/EAShWJySBs
— Speir_s (@Speir_s) 2018年2月25日
そして抜群の捌きを見せた喜田は、この提案で復活を感じさせる働きを見せました。
残酷な基準
この手法には大きな落とし穴もあります。
セレッソばかりが決定機を迎えているようなハイライト動画があるようですが、ゲームを支配していたのは間違いなくマリノスであり、彼らの決定機は、殆どがマリノスが犯してしまった致命的なミスありきの物でした。
そうです、将棋とサッカーの大きな違いとして、駒は絶対にミスをしない点が上げられます。
駒がミスをすれば、点数が一気に激減する恐ろしさがサッカーには存在するという事です。
サッカーはミスありきのスポーツではあるのですが、許容されないミスとして、DFラインにおける誰にでも解るような致命的なミスが象徴的ですが、可能性を想定していなかったミスというのは、極めて危険性が高いです。
例えば、セレッソとのゲームでも、失った瞬間に周囲に誰もプレスに行けない位置にいる敵選手にパスカットされてしまい、DFラインが高く裏に大きなスペースを残し相手選手がそれを即座に狙う、というような状況が何度かありました。
残念ですが、主にミス率という部分で、駒としての性能が足りない選手は、対応できなかったという評価になっていくかと思います。
ありがとう英語教師
かつてもう一つ存在した横浜のサッカークラブに、FCバルセロナが窮地に陥った時だけ現れる、敗戦投手的なレジェンドであるカルロス・レシャックが監督として着たことがありました。
この野心的な試みが全く上手く行かなかったのは皆さんご記憶の通りですが、当時の問題点として、比喩的な表現をすると、
『宣教師は英語しか話さないし、聖書も英語でしか書かれていないのだけど、村人は誰も英語がわからないし、解ろうともしなかった。』
という要素があると思います。
この点、マリノスは、この3年間、極めて優秀な英語教師が最高の仕事をしてくれました。
実力はあったのに英語を理解しようとしなかった選手は居なくなりましたが、数々の犠牲者を生み出した暗い歴史を抱えているクライフ教圏においては、比較的マシな方と言えます。
『サッカーはスペクタクルではなければならない。そしてピンチもまた、スペクタクルだ。』
今年のマリノスはどうなろうと面白いに決まってる。
だって僕らの教祖がこれなんだもの。
覚悟しよう、我々は気がついたらスペクタクルの殉教者となっていた。